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1)オ段甲乙に充当されている漢字

  『記紀万葉』において、実際にオ段音の記述に用いられている漢字は以下の様なものである。(左端が最も頻用されている漢字で、括弧内はオルタナティブ)
  これを眺めると、別に韻書などに照らさなくても、甲類と乙類でなんとなく違いがあるのが感じられるだろう。

コ甲類:古 (胡・姑・固・高・跫・顧・庫 etc.)
コ乙類:許 (巨・渠・去・居・挙・虚・拠・己 etc.)

ゴ甲類:呉 (娯・誤・虞・五・吾・悟・胡 etc.)
ゴ乙類:碁 (其・期・語・御 etc.)

ソ甲類:蘇 (素・宗・泝 etc.)
ソ乙類:曽 (僧・増・層・所・諸・賊 etc.)

ゾ甲類:俗
ゾ乙類:叙 (序・賊)

ト甲類:斗 (度・土・都・徒・図・渡・屠・刀 etc.)
ト乙類:登 (桔・澄・譏・等・台・苔 etc.)

ド甲類:度 (渡・奴・怒 etc.)
ド乙類:杼 (譏・迺・耐・騰 etc.)

ノ甲類:怒 (奴・努・弩・濃 etc.)
ノ乙類:能 (乃・迺 etc.)

モ甲類:毛
モ乙類:母

ヨ甲類:用 (庸・遙・容・欲 etc.)
ヨ乙類:余 (預・与・誉・已 etc.)

ロ甲類:漏 (路・露・楼・廬・魯 etc.)
ロ乙類:呂 (侶・閭・慮・勒 etc.)

2)オ段甲乙書き分けに関するデータや法則

 橋本進吉以来、この100年余の間に、国語学界で蓄積されてきた上代特殊仮名遣いオ段甲乙書き分けに関するデータを紹介する。

① 唇の開きは乙類の方が大きい

   オ甲類母音=唇のすぼまった/O/母音=円唇母音
   オ乙類母音=甲類より唇の開きの大きい/O/母音
  橋本進吉・有坂秀世・金田一京助など論者によって細かいニュアンスの違いはあるが、甲類より乙類の方が唇の開きが大きい、という点では一致している。


② オ段音でも「オ」「ヲ」「ホ」には甲乙の書き分けがない
  「モ」の書き分けは『古事記』『万葉集巻五』だけ

③ 上代に於ける使用頻度は乙類の方が高い

「万葉集」でのオ段甲乙の使用回数 (大野晋『日本語の歴史』 )
 
甲類
397
124
114
92
178
42
24
4
57
1030
乙類
695
293
1344
2093
257
256
98
7
237
5280

      甲乙なし モ:1972 ホ:441 ボ:22 オ:457 ヲ:919 



④ 有坂三法則

 有坂秀世氏が発見した法則で、同一語幹内でオ段甲乙音と他の母音がどのように共存するか(共存しないか)の法則である。

有坂第一法則: 
    同一語幹内にオ甲類とオ乙類は共存しない

  
  例:「ココ」「ソコ」というようなオ段音が連続する単語では、両者共に甲類であるか乙類であるかであって「甲乙」「乙甲」という組み合わせはない。

 松本克己はこの法則に、「同一語幹内でオ段音が連続する場合は原則として乙類」という補則を付け加えた。甲類が連続する例外は「ココ」(サルの鳴き声の擬音語)などごく少数だという。



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有坂第二法則:
   同一語幹内でウ段音とオ乙類は共存することが少ない

   就中、ウ段-オ段二音節語のオ段音は例外なく甲類
 
例:「ツドフ(集ふ)」「クモ(雲)」「スソ(裾)」など、ウ段音と共存する単語のオ段音は甲類 であり、特に「クモ」「スソ」などの二音節語の場合はお段音は必ず甲類
   この第二法則の例外は、「ウシロ(後)」「ムシロ(筵)」「クシロ(釧)」「オヨヅレ」「ホトトギス」の5語だけ

有坂第三法則:
   同一語幹内でア段音とオ乙類は共存することが少ない。


 例:「コナ(粉)」「ナコ(名子)」などア段音と共存するオ段音は甲類(であることが多い)
  但し、この第三法則は例外が多く、70%弱しか該当しないため、有坂自身、これを「法則」と呼んでよいかためらっている。

⑤ オ段音の自立的単音節語(名詞)には甲類が多い

「コ(粉)」「ソ(麻)」「ト(戸)」「ノ(野)」などは甲類

⑥ 甲乙の書き分けが、意味の区別に機能している(ように見える)単語対が20~30対ある

左が甲類・右が乙類  (釘貫亨 『古代日本語母音論』 より)  
1.あらたよ(新夜)/あらたよ(新代)
2.いくよ(幾夜)/いくよ(幾代)
3.こ(篭・子・粉)/こ(此・木)
4.ご(五)/ご(碁)
5.ここ(擬声語)/ここ(此) 
6.ことど(未詳)/ことど(事跡)
7.こなた(墾田) /こなた(此方) 
8.こふ(恋)/こふ(乞)
9.こま(駒)/こま(狛) 
10. こむ(侵/こむ(籠)
11. こも(海蓴)/こも(菰)
12. こゆ(超)/こゆ(臥)
13. しろ(白)/しろ(代) 
14. そ(麻・十)/そ(衣・其)
15. そる(隆)/そる(剃) 
16. たごし(手逓伝)/たごし(手輿)
17. ちよ(千夜)/ちよ(千代)
18. と(外、門、処)/と(跡・十)
19. とく(着)/とく(解)
20. とこよ(常夜)/とこよ(常代)
21. となみ(門浪)/となみ(鳥網)
22. とふ(問)HL/とふ(誂)
23. とむ(富)/とむ(止)
24. の(野)/の(箭)
25. ひとよ(一夜)/ひとよ(一代)
26. ふたよ(二夜)/ふたよ(二代)
27. ほと(程)/ほと(陰)
28. みそ(三十)/みそ(御衣)
29. よ(夜)/よ(代・四・世)
30. ももよ(百夜)/ももよ(百代)
31. よそ(四十)/よそ(外)

   釘貫は「31組」と称しているが、よく見れば「夜(ヨ)」(甲類)と「代・世(ヨ)」(乙類)の組み合わせが8回、「十(ソ)」(甲類)と乙類「ソ」の組み合わせが4回重複してカウントされているなど、数え方によっては20組程度にすぎない。

⑦ オ段甲乙書き分けは奈良時代後半から順次消滅

馬淵和夫によれば、上代資料を作成年代順に追っていくと オ段甲乙の書き分けは
    ホ→モ→ト→ロ→ノ→ヨ→ソ→コ の順で消滅してゆくが
    「コ」の書き分けだけが平安時代初期まで残った

また、「オ」と「ヲ」は奈良時代には明確に書き分けられていたが、平安時代に入ると次第に混乱してゆく
 馬淵和夫は長保四年(1002)の『法華義疏』で「ヲサム」を「オサム」と書いたのが「ヲ」「オ」の混乱の初出としている。
 しかし、大塚毅の『万葉仮名音韻字典』によれば、大宝二年(702)の「美濃国戸籍」に「ヲトメ」を「オトメ(意止賣)」、播磨風土記に「カヲリタ」を「カオリタノタニ(賀意理多:地名)」があり、万葉時代からヲ」と「オ」の混乱はあった。

⑧上代頭韻法則

  これは、オ段音だけでなく、上代特殊仮名遣い全般に言われている法則である。

①母音は語頭にしか立たない(語中・語尾には母音は現れない)
②濁音は語頭に立たない (濁音は語中・語尾にしか現れない)
③ラ行音は語頭に立たない(ラ行音は語中・語尾にしか現れる)

 これらが、国語学者が100年かけて蓄積してきたオ段甲乙書き分けに関するデータである。
 そして、現代日本語(特に関西方言)の発音を分析してみれば、現代人も全く同じ法則で二種類のオ段音を条件異音(conditional allophone)として発音し分けており、これらのデータは全て説明がつくのである。
 しかし、そのことを発音実験で証明してゆく前に、まずはこの「条件異音」という概念を正確に理解してもらわなければならない。

 

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